写真考2010

僕の普段使いのカメラがデジタルに移行して、はや3年近く。
5年前に書いた、写真を撮る事についての文章に手を入れたくなった。
当時はフィルムカメラで年間100本を目標に撮っていた。
今は仕事も含めその数倍の量のシャッターを切っている。

何か、写真を撮る事の責任がなくなってるなぁって思っていたけど。
意外とそうでもないらしい。
大切なのは出発の気持ちなのだ。

「写真考2010」

この前久しぶりに写真をたくさん撮りました。
どうやら「撮りたい心」は満たされたみたいです。
作品の撮影や仕事の撮影ではそれは満たされません。

撮ることが好きなんです。
その行為が好きなんです。
撮るものは何でもいいんです。
目にうつるものにいかに敏感に反応できるかが大切なんです。
だからシャッターをきる瞬間が好きなんです。

「あ!」
と、思ってシャッターをきる。
「おお!」
と、思ってシャッターをきる。
「むはむは」
と、思って今日を生きる。
「むむむ」
と、思って明日を生きる。

久しく、忘れていた感覚。
でも、いつもいつもは撮れないもんです。
テンションに非常に左右されます。
ふとした瞬間が大切なんです。
瞬間の直感を信じたいです。

普段は小さなカメラを持ち歩いてます。
メモ代わりです。
持ち歩いていないと不安なんです。
いつ瞬間に出会うかもしれないか、わからないんですから。

荷物が許すなら、大きなカメラを持っていきます。
小さなボタンを押す、小さなカメラでは「撮る」瞬間は感じにくいのです。
シャッターをきって、カシャンとミラーがあがる、わずかな時間がもどかしいくらいの大きなカメラがいいんです。

写真を撮ることは、たまに思いついたときに書く日記のようなもので、文才のない僕のヴィジュアル日記なんです。
写真が真実を写すとか、そんなことはどうでもいいんです。
何が真かなんてことは、変わっていくんです。
シャッターをきる瞬間、いかに躊躇しないかが勝負所なんです。
写真は瞬間の記憶なので躊躇してしまうと命取りです。

人間の目はよくできていて、見たいものを見れる。
故に見たくないものも見てしまう。
その点カメラは平等なんです。
平等がいいところであり、最大の弱点です。
平等故に、思いをのせる事が難しいんです。
芯をとらえるのは、消費税くらいあれば上出来です。
思いがたくさんあるとき、かえって何もかけないもんです。

撮ったものはできる限り時系列、イベント別にアルバムにいれます。
けして「ベスト」なんてものは作りません。
データのまま、パソコンの中に入れておいてはいけません。
どんどん増えていくことを憂いてはいけません。
生きている毎日もどんどん長くなっていきます。
そのすべてを覚えたくても記憶できません。
時間が途切れながら続いている事が大切なんです。
たまにしか振り返りません。
記憶が間を埋めてくれます。
埋めれない記憶があるなら、それはきっと埋めなくていい記憶なんです。

大げさなものではないので、たまにでいいんです。
途中で終わってる日記が何冊もある僕には、たまにが大切みたいです。

歳をとった時に、一気に振り返る何かをしたいです。
それは気まぐれ勝手な区切りです。
それまでは、瞬間は記憶の中と家のアルバムの中にしまっておきます。

毎日が続いていくということから、明日が続いていくんです。
それは写真に限らずです。

絵を描くことも続いていくんです。
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