「車窓考」2015年夏の終わりに。

201508車窓景nakajimamugi中島麦



「車窓考」

流れる景色を何時間も見ていた。


そんな中、無意識に目で追いかけているものがある。
浅い思考のカケラが、頭の中で左から右に浮かんでは、消える。
決して記憶に定着しないイメージや言葉。


繰り返される無意識の撹拌の中から、大切なコトとそうでない事が、分離していく感覚。



何かをつくるというコトは直感、すなわち瞬間の選択の集積であり、意識している段階で自意識を超えれない。


いつも刺激ばかりでは、
起きてる出来事に引っ張られてしまって良くない。

ゆっくりコトを深めるには、

車窓くらいの変化がちょうどいい。


2015年、8月の終わりに。
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「洗濯考」

nakajimamugi中島麦洗濯



「洗濯考」

とにかく、
気持ちよく、
洗濯がしたい。

寒くてなかなか乾かないとか、
PMうんぬんとか、
花粉とか、黄砂とかとかとか、
そんなこと気にせず、洗濯がしたい。
非常時以外は、部屋の中なんかに干したくない。

ほどよくたまったタイミングで、予定通りに、
洗濯するぞ!という、選択できないから、
洗濯という事に、ついて考えてみる。

とにもかくにも、
洗濯機が動いている時間が好きなのです。

だからといって、すごくきれい好きとか言うわけじゃないのです。
だからといって、干す作業はきらい嫌いなのです。
だからといって、乾いたものをきれいに整頓するのは苦手なのです。

洗濯物がたまる=生活の証拠
生活の証拠=日々の移ろい
日々の移ろい=晴れたり曇ったり
晴れたり曇ったり=明日は晴れたらいいなぁ
明日は晴れたらいいなぁ=そうだ!洗濯をしよう
そうだ!洗濯をしよう=洗濯機を動かす
洗濯機を動かす=洗濯をしている
洗濯をしている=服がきれいになる(自動)
服がきれいになる(自動)=洗濯をしている間に何かする
洗濯をしている間に何かする=効率がいい
効率がいい=充実感
充実感=前に進んでいる感じ
前に進んでる感じ=日々の小さな安心感
日々の小さな安心感=明日は何をしようと思う
明日は何をしようと思う=わくわくする
わくわくする=ばたばた走り回る
ばたばた走り回る=今日の生きた結果として、洗濯物がたまる。
(始めに戻る)


爽やかな青空の下に、
洗濯物を干したい!

電車考-2013

車内景


「電車考-2013」


いつも乗っているあずき色の電車も、
遠くに行く時に使う元国営鉄道も、
知らない街の1両列車も、
いろいろ含めて、電車(鉄道)にまつわるいろいろな事を考えてみた。

車移動という選択肢が日常生活に導入されたとはいえ、
普段の移動手段はもっぱら電車。

電車が好きということではないのだ。
「乗っている」事が好きなのだ。
このふわっと固執しない感じ、これが大切なのだ。


・移動時間を楽しめないか、効率よく過ごせないかといつも思案する。

楽しむというか「移動」と「もう一つ別の行為」をするという事をどうするか考える。
(効率的お得感)
本を読む:多くの移動は数十分単位の時間的制約により実用書かショートなもの限定。
    (家では読まない)
新聞を読む:一面から見出しを追いかけて、つらつらっと読んで20~30分。
     (通勤規格な活字時間)
携帯の画面:自宅でじっとしていじっていたら、たまに時間を浪費した気分になる。
     (なぜだろう?)
寝る:たとえ寝不足で仕事へ向かうことになろうとも、少しは寝れる。
  (安心感)
観察:前に座ってる人の人格や私生活を勝手に想像する。
  (いい迷惑)
写真:鞄に常備。遠くへ行くときはテンション上げるために大きなカメラ必携
  (車窓の写真が多くなるけどへこたれない。)
   都会でカメラをぶら下げていると不審者扱い。
  (観光客には間違われたくない)
   ときおり先頭車両で陣取る撮り鉄の皆さんに辟易する。
  (写真に全部、あなたが写ってしまうんですよ!)
音楽:以前は聴いていたけど今は聴かない。
  (周囲の音に気づかないのはもったいない)



・仕事場へ向ういつもの風景も好き。

いつも見ているからこそ、小さな変化に気づく事もある、
(再発見)
電車に乗ってるときは、周囲からの視線に意外と無防備。
(寝起き注意)
無防備なので疲れた顔を隠せてない。
(隠さなくても良いけど隠したい虚栄心)
駅を降り、それぞれの生活へ散っていく人のそれぞれの人生について考えてみる。
(想像力の浪費)


・線路が街まで続いていることがここでのくらしの希望だったんです、雪深い寒村の老婆が言った。今は廃線になり、街まで続いていた線路はなくなった。

乗った事がない路線、鉄道に乗ると意味なくテンションが上がる。
(乗りつぶし地図に赤い線を引く満足感)
その赤い線が最寄りの駅までつながっているという線路は続くよ連帯感。
(連帯してどうする?)


・今日中に行けるところまで行ってみようと、計画を50%たてて、とりあえず電車に乗る。

時間的制約。線路的制約。金銭的制約。
この縛られてる中で、めいっぱい動いてみる感。
(自己満足)


・夕刊フジを読みながら、老いぼれてくのはごめんだ!by ブルーハーツ

そういう人にはならない。
(これからも)
最近、紙ものを読んでる人減ったね。
(その代わり、みんなスマホの画面を見てるね。)


・対面座席のローカル路線で、足を前の席に投げ出し荷物を左側に置く。移動テントの気分。右手に時刻表。

公共の場でいかに自分の空間を作るか。
(パーソナルスペース確保)
混んでくると、そそくさと片付ける。
(公共性も大事)
自分の空間に入ってるふりして、学生達のたわいもない会話を聞く。
(聞耳罪悪感)


・座席の位置は、海が見えるか見えないかで決める。

海がない場合は、風景が開けてる可能性を考えて座る。
(直勘)
特にトンネルが多いと予想した時は、川は大事な風景要素になる。
(地形を分析)
とにかくひらけている景色に越したことがない。
(閉鎖的な空間からの視野の格差)
海と並んで、陽が沈む方向は意識する。
(感動度合いの演出)


・列車と電車の違いがよくわからない。

パンタグラフがあるのが電車。
(送電線がなけりゃ動かない、仏教思想他力本願だね)
ディーゼルを含む自ら駆動するものを含むのが列車。
(汽車は乗った事がない)
と勝手に分別。
(本当の答えなんてどうでも良い)


・種類(名前・イメージ)

快速・新快速・区間快速・特急・快速特急・通勤特急・準急・急行。
(みんな早そうだし急いでそうだし、早さのインフレ)
普通。
(普通が1番遅いってどういう基準だ?)
ただ急いでるより、快と付くとなぜか人間味が、
(ある気がする。)
新幹線という響きはあまり早そうではない。
(速度イメージを含まない不思議)
貨物に「国鉄」と書いてあったりするとなぜかうれしくなる。
(少なくとも30年選手)


・早く目的地に着くことだけを最優先すべきではない。

急いでるときは、少しでも早く着く様な気がして先頭車両に乗る。
(まったく意味のない上に、改札に遠くなって逆効果)
乗り換え検索ではこの「間」に気づいてくれない。(テクノロジーの限界)


・駅そばが好き。

何気ない地元の人の会話、店員のおばちゃんとの会話から、思えば遠くへ来たもんだ感を味わう。
(旅情)
たまにどうしようもなく小麦粉満載そばが食べたくなる。
(美味しさ基準で考えない)
疲れてる時にだしが飲みたくなる。
(勘違い塩分不足)
美味しさを求めるのではなく、その場所性を求める。
(味への納得)
たまに出会ううまいそばに感動する。
(意外性)


・朝のラッシュに乗らないぞ、スーツを着て仕事はしないぞと、強く思った高校生時代。

根拠なく固く心に誓った僕は、朝のラッシュ時に仕事に向っている。
(そんなもんだよね)
後者は免れているが、ある程度のラッシュとは戦わなければならない。
(牽制しながらの試合)
いや、そんなに悪いものでもないね。
(電車に乗ってるからね)



想像すると、どこか遠くへ行きたくなってきた・・・◎
(乗り鉄やん!)



阪急より

淀川を越える。
(阪急電鉄の車窓ハイライト)

収納考/2013.7

収納考


「収納考」


初めに断っておきます。
「収納好き」であるだけで、決して「片付け上手」ではありません。



収めて納める感じが好きなんです。
ぎゅっと詰まってるならなおいい感じです。
納戸とか、文字を見ただけでグッときます。
嘘です・・
でも、生活環境には「納戸」的存在がある事を希望します。
未来の収納の可能性を感じます。
ただし、今の家は可能性や容量を無視した状態なので、ストレスに感じる事が多々あります。


そこで、収納ということから派生する事象について検証したいと思います。
まず、第一に
「収納=安心感」
なのです。
収まってる具合が落ち着くのです。
バラバラに存在してるものをグループに分けてみる。
歴史学者や精神分析医、弁護士等はそのへんの事を得意とします。
分ける事によって、理解しやすくなります。
つまり安心なのです。
ただ、無理に分けてみたり、範疇外の事が起こるとすぐ「想定外」や、何でもかんでも「新」や「ネオ」「モドキ」「第二の・・」などという、分類項を作ってしまうので、そこはよく考えてほしいものです。
分類の方法によっては安心感を得る代わりに、他の物からの理解度合いを下げてしまう事があります。



とりあえず箱に入れます。
とりあえず箱にラベルを貼ります。

「箱に入れる事」は、私的収納の基本形です。
立体物は箱に入れるのです。
箱は外界と空間が遮断されているため、他にまぎれる事はありません。
故に、どこにあるかはわからいけど、あの箱の中だったような・・
でも「あの箱」を忘れてしまったら、どうしようもありません。
箱の多くは不透明なので、ぱっと見何が入ってるかわからないので、ラベルを付けます。
多くのラベルは、明確なタイトルを持ち、中身とラベル名が一致します。
(希望も含みます、そうありたいと)
ただ、内容物が雑然としている場合「いろいろBOX」のような抽象的な名前を付けてしまうので、そこのへんが困り者です。
(いろいろ、その他・・という便利な言葉によく騙されます)
いろいろがいろんな所に出来だすと、もうそれは収納と言わないので気をつけなくてはなりません。



とりあえずクリアファイルに入れます。
とりあえずタイトルを書きます。

2次元の物は2つ以上存在した時点で、ファイル行きです。
仕事柄もあり、やたらめっぽう紙ものが身の回りにあります。
紙は、重ねてしまうと2枚目が見えない上に、どこにあるかよくわからなくなります。
しかも、日常の中で次々と気軽に現れる物ですから「束」になると、すぐに収集がつかなくなります。
つまり、非常に落ち着きますん。
「束」つまり複数になった時点で、整理の必要があります。
一枚一枚が独立かつ、クリアに見えるのでクリアファイルが最適です。
ただし、エンボス加工がしてある物は嫌いです。
取り出しやすさ=こぼれ落ち具合
に、つながります。(当社比)
しかも、あまりクリアではありません。
クリアにニューをつけると、途端に危険な物になるので気をつけます。
入れる際、覚悟しておかないといけないのは、紙も積もると非常に重いの法則です。
引っ越しの時に一番厄介なのは、紙系の物がぎっしりの箱です。
本、写真、もちろんクリアファイル。
小さいのに密度が高く、2つ持てなかったりします。
(小さい箱なのになんで重そうに持ってるねん)
と、思われて、非力扱いされるのではと心配します。
しかし、紙同士の間には空気が少ない分、重いのです。
そのあたりは理解が必要です。
話がそれましたが、2次元だからと言って、侮るな!という事です。
収納方法を間違えると大変です。



とりあえずフォルダを作ります。
とりあえずの名前をつけます。

これはデジタル世界の事です。
上記の2つと異なり重さがありません。
データの重さはありますが、持ち運びには支障ありません。
ただ、デジタル世界の混乱した状況ほどいらつく事はありません。
なんせ、実感がないあたりが危険なのです。
安心と危険は常に隣り合わせなのです。
故に、フォルダに何でも入れます(収納します)
新規フォルダー作成コマンドをよくクリックします。
お手軽に、収納分別による安心感を得る事が出来ます。
しかし、簡単故に、安易に作成してしまい、どこに新しいデータがあるのかわからなくなります。
実態がない上に、作った責任感も薄いので、検索してもどれがなにやら・・です。
そこで、見つけた必要な物を入れる新しいフォルダを作成する・・・
要らないダブルスパイラルです。
デジタル上でも貧乏性みたいで、捨てるのに勇気がいるので、大変です。
つまり、安易に安心感を手に入れようとすると、逆に混乱を招くので気をつけなくてはなりません。



以上、代表的な収納について考えてみました。
収納状態は、自分の頭の中状態によく似ています。
考えや生活が混乱しているときは、部屋が荒れてきます。
荒れて来て、落ち着かなくなると、まず要らない物と要る物を分けます。
(掃除します)
頭が混乱してくると、落ち着く状態を作り、思考を整理します。
(まずは見えている所をなんとかする事が大切です)
何となくまとまってくると、収納(記憶の整理)です。
整理されると、少し安心します。
でも、必ずグレーなもの(分別不能)が出てくるので、それは持ち越さなければなりません。
グレーなものが増えてしまうと、どんどん巨大な暗黙の領域というモノに変わります。
組織がでかい(収納空間がでかい)と、その領域も大きくなるので、修正(収納)に手間取ります。
その手間取り具合は、よくニュースを騒がします。


おっと、話がでかくなってきて収集がつかない(収納できない)
非常に危険な状態です。
これだから、01のデジタル世界は危険なのです。
便利さと引き換えに分別できない広い広い世界を形成してしまっています。



そこで安心感を得るために収納します。
(アップします)
とりあえずこれで一時的な安心感を得る事が出来ます。




*アトリエの廊下、近影。

写真考2010

僕の普段使いのカメラがデジタルに移行して、はや3年近く。
5年前に書いた、写真を撮る事についての文章に手を入れたくなった。
当時はフィルムカメラで年間100本を目標に撮っていた。
今は仕事も含めその数倍の量のシャッターを切っている。

何か、写真を撮る事の責任がなくなってるなぁって思っていたけど。
意外とそうでもないらしい。
大切なのは出発の気持ちなのだ。

「写真考2010」

この前久しぶりに写真をたくさん撮りました。
どうやら「撮りたい心」は満たされたみたいです。
作品の撮影や仕事の撮影ではそれは満たされません。

撮ることが好きなんです。
その行為が好きなんです。
撮るものは何でもいいんです。
目にうつるものにいかに敏感に反応できるかが大切なんです。
だからシャッターをきる瞬間が好きなんです。

「あ!」
と、思ってシャッターをきる。
「おお!」
と、思ってシャッターをきる。
「むはむは」
と、思って今日を生きる。
「むむむ」
と、思って明日を生きる。

久しく、忘れていた感覚。
でも、いつもいつもは撮れないもんです。
テンションに非常に左右されます。
ふとした瞬間が大切なんです。
瞬間の直感を信じたいです。

普段は小さなカメラを持ち歩いてます。
メモ代わりです。
持ち歩いていないと不安なんです。
いつ瞬間に出会うかもしれないか、わからないんですから。

荷物が許すなら、大きなカメラを持っていきます。
小さなボタンを押す、小さなカメラでは「撮る」瞬間は感じにくいのです。
シャッターをきって、カシャンとミラーがあがる、わずかな時間がもどかしいくらいの大きなカメラがいいんです。

写真を撮ることは、たまに思いついたときに書く日記のようなもので、文才のない僕のヴィジュアル日記なんです。
写真が真実を写すとか、そんなことはどうでもいいんです。
何が真かなんてことは、変わっていくんです。
シャッターをきる瞬間、いかに躊躇しないかが勝負所なんです。
写真は瞬間の記憶なので躊躇してしまうと命取りです。

人間の目はよくできていて、見たいものを見れる。
故に見たくないものも見てしまう。
その点カメラは平等なんです。
平等がいいところであり、最大の弱点です。
平等故に、思いをのせる事が難しいんです。
芯をとらえるのは、消費税くらいあれば上出来です。
思いがたくさんあるとき、かえって何もかけないもんです。

撮ったものはできる限り時系列、イベント別にアルバムにいれます。
けして「ベスト」なんてものは作りません。
データのまま、パソコンの中に入れておいてはいけません。
どんどん増えていくことを憂いてはいけません。
生きている毎日もどんどん長くなっていきます。
そのすべてを覚えたくても記憶できません。
時間が途切れながら続いている事が大切なんです。
たまにしか振り返りません。
記憶が間を埋めてくれます。
埋めれない記憶があるなら、それはきっと埋めなくていい記憶なんです。

大げさなものではないので、たまにでいいんです。
途中で終わってる日記が何冊もある僕には、たまにが大切みたいです。

歳をとった時に、一気に振り返る何かをしたいです。
それは気まぐれ勝手な区切りです。
それまでは、瞬間は記憶の中と家のアルバムの中にしまっておきます。

毎日が続いていくということから、明日が続いていくんです。
それは写真に限らずです。

絵を描くことも続いていくんです。
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Author:nakajima mugi
美術家 中島麦のブログです。
旅の記録と日々の諸々の記憶。

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