HUB-IBARAKI ART PROJECT 2016-2017によせて。「サラブレッドな異端?」三井 知行氏【大阪新美術館建設準備室 学芸員】

現在、大阪府茨木市で展開されている
「HUB-IBARAKI ART PROJECT」によせて、
大阪新美術館建設準備室の学芸員、三井 知行氏にテキストを書いて頂いております。

近年のほとんどの展覧会に足を運んで頂いており、
作品のみならず多面的に僕自身の制作全体に触れて言葉にしていただいております。


HUB-IBARAKI ART PROJECT web

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サラブレッドな異端?


美術史の世界にモダニズムという言葉がある。近代主義とか近代性と訳され、1960年代頃までの「近代」の美術の傾向を表すこの言葉の意味を、詳しく説明しようとすると話がとても長くなってしまうのだが、その一つの傾向として「自立」ということがある。つまり絵画なら、画僧でも王侯貴族のお抱えでもない「自立した」画家が、物語にも風景にもよらず、立体感とか遠近法とかも無しに、ひたすら平面性=色と形と若干の筆触のみで(他の要素から自立した)作品を成立させる、という考え方である。だから抽象絵画などはモダニズムの最たるものだし、白い箱のような非日常的な箱(≒美術館の展示室)で作品とにらめっこ対峙する鑑賞法もその影響だ。たいていの芸術家がビンボーなのもモダニズムのせいかもしれない。

さて、作品だけ見る限り、中島麦はそんなモダニズム本流の末端に位置する「モダニスト」に見える。作品はほとんど抽象画だし、作品が飛ぶように売れているという話も聞いたことがない。彼が時々使う家のような五角形のカンヴァスも、1960年代頃に出てきた「シェイプトカンヴァス」という考え方-四角いカンヴァスに作品をおさめるのではなく、作品の形にカンヴァスの外形を合わせる-に属すると思われる。一時期引っ張りダコだったワークショップでも、具象画から幾つかの要素を抜き出して抽象絵画を作るという、モダニスト養成法のようなことをしていた。近年取り組んでいる、色とりどりの細かい点が撒き散らされた平面と1色でほぼ均一に塗られた平面の組み合わせも、空間・環境によって組み合わせを変えるところはちょっと違うが、個々の平面はどちらのタイプもモダニズムの歴史の中に類例を見いだせる。

しかし、なんか違うのである。中島麦の作品と、活動や姿勢とのギャップが醸し出す違和感が彼をモダニストと呼ぶことに待ったをかける。屈託を感じさせない肯定感、無考えにさえ見える前向きな姿勢(実際には彼も悩み、逡巡していると思うが)、そして他の作品に似ていること・美術史の焼き直しに見えることに頓着しない制作態度は、深刻な顔で絵画理論を語り、美術史を更新しうる新しさ、オリジナリティを追求するモダニズムの芸術家像とはあまりに対照的である。

この違和感はなんだろうと思っていたところ、彼が高校の時演劇部だったと聞いて妙に納得した。もちろん彼の態度が芝居掛かっているというのではない。例えば彼は制作や展示で作品が「どう見られるか」を意識している。この意識も画家というよりは役者のものに近いように思われる。もちろん画家も、自分が何を見せるかと同時に他人から「どう見えるか」を気にするけれど、それは自分の視線が外から内(作品・自分)に変わっただけで、舞台上の役者と桟敷の観客のような関係ではない。

また、テレビや映画と違って舞台では観客の反応は直に役者に伝わる。中島麦の作品制作は、それほど派手でも即興性の高いものではないが、それでもライブペインティングや公開制作を積極的に行うのは、演劇と同じように観客の直の反応を求めてのことなのかもしれない。さらに公開制作では、作品を作る際の時間の流れを直接的に開示できる。通常の絵画では背後に隠れ間接的にしか現れない、現実的な時間の流れを他人に見せること、これも演劇的な要素とはいえまいか。

多くのモダニズム絵画では、作家の社会的思想や政治的メッセージが直接的に表されることはない。これは社会と隔絶されたところに作家・作品があるのではなく、作品を世に問うことで、見た人の意識が少しずつ何となく変わり、間接的にゆっくりと社会に影響を及ぼす方法を採っている、と解すべきだろう。中島麦も自分の絵画に、直接的なメッセージ性を持たせることはしない。一方で彼は、作家の活動として直接的に社会、特に地域コミュニティに関わろうとする。一見矛盾する二つの志向も、作品を役者、社会を舞台、人々を観客と考えればそれほど矛盾しないのではないか。つまり「作品を世に問う=人々が作品に出会う」部分を意図的に演出することで、社会に対する作品の作用を高めようということなのかもしれない。

今回のHUBいばらきでは、プラネタリウムの待合いの壁や役所の戸棚、通路などが彼によって直接ペイントされ作品となる。用があってそこに来た人は「芸術作品を見る」という意識のないまま、唐突に作品に出会ってしまう。いわば絵画によるフラッシュモブである。何度かそんな作品との出会いを体験すれば、自分の周囲への意識が変わる。意識が変わった人が増えれば、きっと茨木はもっと楽しくなるだろう。

三井 知行【大阪新美術館建設準備室 学芸員】


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HUB IBARAKI ART PROJECT表1中島麦nakajimamugi1704

HUB IBARAKI ART PROJECT表2中島麦nakajimamugi1704

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「色の中に生き、色を探求」画廊編&ぎゃらりかのこ 中島由記子 2015年3月/大阪日日新聞掲載~関西美術探訪阪大美学研究室より

「色の中に生き、色を探求」


中島麦のアトリエは、天満橋から北へ5分。昭和に建った鉄筋コンクリートビルの3階にある。1人がようやく通れる階段や通路の阻害感は、アトリエにはもってこいに感じられた。
作家のアトリエは、幾つもの顔料の塊が、彗星が衝突した如く、色の小片が空中で飛び散った、そんなことが想像出来た。ベニヤ板を白く塗って壁にしたという作業壁は、色の火花が壁に向って打ち上げられたようだ。その一部は、重力に従って色が垂れている。作業場所の壁や床、作家が作ったというキャンバスを固定するサイコロ型の作業台や木の棒は、同じように多数の絵の具が付着し、色が重なっている。そこから、ここ数年の作業が聞こえてくる。縦走する作業跡から、多種多様の色が、作品に用いられていたことが分かる。作家の作業着にも、壁面や床の色の堆積と同じように、絵の具が付着していた。
床には、色と色を調合した新色の白い容器が、作家が僅かに腰を下ろして作業する空間を残して、陣取っている。その容器は50以上もあろうか?全て異なる色が入っている。欲しい色を造るために色を混ぜる作業をしたこともあるだろうし、子供のように、色の種類の組み合わせ遊んだ様子もうかがえた。
出来た色はどんな色か?よく見えるほうが都合がいい。そのために、蓋や側面に中身と同じ色が大きく塗ってある。容器の蓋が、床の上で、まるで絵画を描いているようだ。大型チューブの絵の具が色の蓄えとして、30センチ×60センチほどの木箱に入れられていた。50個を超えるだろう。木箱の側面にも色と色の視覚効果を試した跡がある。椀型の青色のプラスチック容器から黄色の絵の具が垂れている。物置の奥の棚には、大きめのボールの原色の緑・赤色が見えるが、場所にすっかり馴染んでいる。刷毛立てのアルミの缶にも好みの色が塗られていた。
色は絵の具だけではない。机の上には100本はあろうか?という色鉛筆が丸い缶にに立てられている。
ここまで見えて来ると、作家..中島麦が、自閉的に色に執着して、色の中に生き、色を探求していることが分かる。


中島麦nakajimamugi大阪日日新聞


ゲーテは色彩論の中で、色を生理的、化学的、物理的な分野から考察を加え、色彩と人の視覚との関係性を色彩の感覚的精神的作用として論じている。まさしく、中島麦は、アトリエに大きな照明を設置し、周く色彩と光の関係を探求し、客観的な視点で色を捉え、共感する感情を作品の中に造り込んでいる。
作り手は偏執することを求められる。偏執的でなければ、芸術家とは言われない。しかし、その偏執というのは、一つの大きな決まり事を探る作業である。ゆえにアトリエの中の作業跡でさえ、実に無造作なものは何も無い。作家は、無意識にアトリエの中の色の有様や配置を決めている。衝動的に色を使った跡でさえ、実は秩序と調和が感じられた。
自身の色への執着とアトリエでの実験的作業の繰り返しが、作品を能動的に創造していく力になっている。楽しみな作家である。

画廊編&ぎゃらりかのこアートディレクター 中島由記子

2015年3月10日付/大阪日日新聞掲載
~関西美術探訪<640>阪大美学研究室より

「カオスモス・ペインティング」平田剛志氏/ 個展「星々の悲しみ〜blue on blue〜」

中島麦TOKIO OUT of PLACE


現在、開催中の個展(〜10/27日)「星々の悲しみ」blue on blue」によせて、
京都国立近代美術館研究補佐員であり、現代美術批評家の平田剛志さんに、
テキストを執筆して頂きました。

展覧会と合わせてご覧下さい。


*上記の写真はTOKIO OUT of PLACE(東京・広尾)で開催された
「星々の悲しみ〜blue on blue〜」の様子。(2013/8-9)



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「カオスモス・ペインティング」

平田剛志


 中島麦の新作「星々の悲しみ」は、カオスモスな絵画の始まりなのかもしれない。

 これまでの中島の絵画は、「アクリル絵の具の鮮やかな色彩とベタ塗りを重ねた色面で構成され」*1た抽象画であった。風景をもとにドローイングの蓄積によって生れた安定感のある構図や色彩は、コスモス(秩序)と言ってもいいだろう。対して、今展では異なるテクスチャー、技法による2種類の絵画の組み合わせによって構成されている。

 ひとつは、絵の具の流動的な滲みや重なりが動的、偶発的なフォルムを形成し、もう一方は、画面全体にアクリル絵の具一色が塗られた静的な絵画である。前者はアンフォルメル、抽象表現主義の絵画やサム・フランシスの作品を思わせ、後者はハード・エッジのエルズワース・ケリー、カラー・フィールド・ペインティングのバーネット・ニューマン等の絵画を想起させるだろう。それら2種類の絵画は、秩序(cosmos)と混沌(chaos)、静と動、単純と複雑、ディオニュソス的とアポロン的、論理と感性の対比であり、C・グリーンバーグ、H・ヴェルフリンに倣えば「絵画的であること(ペインタリネス)」と「線的(リニア)」といった両極端な絵画によって成立している。だが、グリーンバーグも述べるように、絵画的と線的の絵画の境界線は固定したものではない。

 カオスモスとは、カオス(混沌)とコスモス(秩序)の合成語である。中島は、異質な2種類の絵画を組み合わせて展示することで、ひとつのカオスモス(chaosmos)な絵画空間を構築するのである。そして、2種類の絵画の組合せには厳密な法則はなく、空間に合わせてインスタレーションされるという。宇宙が季節や時間によって「妙なるリズムとともに限りなく変転してる」*2ように、「星々の悲しみ」の絵画もまた展示される空間によって組合せや展示は変転・変化するだろう。中島は、異質なカオスとコスモスが共存する空間を可変的に構成することで、ポリフォニックな絵画のあり方を提示したのである。その試みは、まだ始まったばかりである。


*1 酒井千穂『中島麦 悲しいほどお天気:作品リーフレット』Gallery OUT of PLACE、2011.12
*2 宮本輝『星々の悲しみ』文藝春秋(文春文庫)、2008年、31ページ。

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中島麦_星々の悲しみ_表


中島麦 個展 nakajima mugi
『星々の悲しみ - blue on blue - 』
会期:2013年 10月4日 (金) - 10月27日 (日)

木曜 - 日曜 12時 - 19時
open : thur. - sun. 12:00-19:00
月火水 休廊 closed on mon,tue,wed,

会場:Gallery OUT of PLACE
630-8243奈良市今辻子町32-2
tel・fax 0742-26-1001
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Author:nakajima mugi
美術家 中島麦のブログです。
旅の記録と日々の諸々の記憶。

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